お知らせ
第58回 「私の生い立ちと歩み」
2011年09月06日
山岡君、請川君と共に、よく飲みました。青年団でも会社でも若い頃はみんな元気がよくお互い酒も強かったと思います。古き良き時代でした。私の会社で飲んでいた夜半、彼を粟井の家まで送ってゆく途中で、道路わきの神社へ車を止め二人とも熟睡しました。眼を覚した時、どこにいるのか2人とも判断がつかなくなりました。彼が動きまわって「こゝは上出の神社じゃ」と呼びました。道路や土地勘は動物的とも云えるものをもっていました。ケレン味が全くなく、誠実そのものの人柄で、いつも安心して本音でおつき合い出来る友でした。
子供たちが成長したある日、彼が緊張した面持でやって来ました。彼の長女が京都のコンピューター学院時代の学友と結婚したいと云うのでビックリしている。相手は京都の日本海近くの町役場へ勤めている人だ、と云うのです。この長女の名付けには私もかかわったことを思い出しました。それでは「聞き合わせに行こう」となって、私が東京出張からの帰路、彼と姫路で落合い彼の新車で日本列島を横断しました。カーナビのない時代、道路地図のみで彼のカン・ピューターの鋭さのおかげで目的地になんなく到着。聞き合わせは上々でした。彼は車の中でじっと待っていて、私が聞いた近隣の人々からの話をウンウンと安心した表情で聞くのみです。
ちょうど正午前になったので、町役場へ立寄り娘さんの相手を呼び出すことが出来ました。レストランで会食し、勤務のこと、趣味、スポーツなど、だんだん話がはずみました。長身のさわやかな好青年です。誠実な人生を生きようとしている山岡君と似通っていると好感をもちました。山岡君がトイレへ行った後で「結婚の約束をしているんですか」と私が聞くと、「ハイ、二人で約束しています」とのこと。
帰路の車中で、この事を話すと山岡君は、「あんたなら、わしの気持ちを汲んで聞いてくれるじゃろうと思うて席を立ったんじゃ」と云って、満足そうでした。親友間の気持の響き合いを感じました。その後めでたくゴールイン。この娘さんご夫婦も今では5人の親として、落着いた生活を過されているようです。盆暮などに家族でこちらへ来られているのを見ると遠い日のことを思い出したりします。
私の誕生日には、私の家族と共に山岡君、請川君がやって来て、みんな一緒に祝ってくれるのが通例でした。平成10年の秋、私は席に座っている山岡君の顔をみて、びっくりしました。極端なやせ方でした。電話では時々話していたのですが、直接会うのは3ヶ月ぶりくらいでした。いつもの日やけした柔和な健康そのものの顔ではなく、青白く頬骨がとがっていました。「どしたんや、その顔」と私が云いました。2ヶ月くらい前に突然お腹がガラガラと云って下痢をしたので近くの医院へ行ったら急性腸カタルとのことで、すぐ治ると云われている。今は脈もとらず薬もなしじゃ、少しづつ薄紙をはぐ様に良くなって来ているのだとのこと。私は、「その顔を見たら心配じゃ。普通の病気ではない気がする。大病院で内視鏡を呑んで、きちんと調べてもらわないかんぜ」と云いましたが、彼は黙っています。くりかえしえて私が云うと、彼は「総合病院へ行く云うたら……今診てもろうとる先生に悪いがな」と云うのです。彼らしい律義さ、人間性が出ていると思いましたが、私はかかりつけの町医院と設備の整っている総合病院との役割分担がはっきりしてきている時代になっていること。検査後は又、従来の近所の医院へ通ったらいいのだと説明し、やっとその気になった様子でした。





