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第83回 「私の生い立ちと歩み」

2013年10月08日

また、「休め」「気をつけ」「右向け…右ィ」と号令をかけたまま、「直れ」と云わないのです。一列に並ばされた私達団員は、右を向いたままの姿勢で長時間固まっています。「団長ノ命令ハ朕ノ命令ナリ」ですから、誰一人逆らったり、逃げたりは出来ません。(「朕」とは天子の自称と辞典には出ていますが、天皇陛下が自分を呼ぶための唯一の言葉で、他の人は絶対に使ってはいけません。)そこへ足音を忍ばせて後ろから最上級生が寄って来ます。線香に火をつけたものを持っていて、手の指が伸びていない者にジューと当てるのです。手の甲が赤くはれて、何日も痛い痛いと云っていた同級生もいました。正に弱いものいじめです。戦局の悪化に従って、日本軍隊の非人間的統制と恐怖によって少年団も支配されていったように思います。
高室国民学校の朝礼では、「ミタミワレ、コノオオミイクサニ、カチヌカン」と全校生徒が大声で唱和するのが常でした。生徒達は誰も正確な理解は出来ていなかったと思います。ある日教頭先生が朝礼台の上から全員を見渡して、「『ミタミワレ』とは何のことか」と云われました。「河内、云うてみい」、最上級生が黙っていると、先生は「『ミタミワレ』とは、おそれ多くも、天皇陛下のご家来である私、フナハシコウイチは――と云う意味であります」と云われました。天皇陛下は生き神様です。「おそれ多くも……」と先生が云われた時にはもう、全校生徒が「休め」から直立不動の姿勢を取るために足を引く音が「ザッ」と運動場内に響き渡りました。ああそうなのか、私達日本国民はみんな現人(アラヒト)神である天皇陛下のご家来なのか。だから陛下のためには全国民は命を投げ出して戦わなければならないのか。――と、わかったような気持ちになりました。
私の国民学校(小学校)時代は、毎日このような教育をされ、周りの空気が戦争へ戦争へと高まって行きましたが、「非国民」と云われることを恐れて、誰も「戦争はイヤじゃ、恐ろしい、平和が良い」と口に出しては云えない時代でした。
終戦となり、私が新制中学より新制高校へ進学した時期に、図書館で読んだ本の中に「良い戦争、悪い平和は、あったためしがない」と云う言葉があり、今も鮮明に覚えています。戦後日本は新憲法で戦争放棄を内外に宣言して今日に至っています。この憲法を守り、平和の主体者になることが今戦争の時代を体験した私達に求められているように思います。広島・長崎と二度も原爆の洗礼を受けた日本が全世界に向けて発信出来るもの、それは「平和」であるはずです。
サンサンだよりの先々月号の原稿を書いている頃だったかと思いますが、松江市教育委員会が「はだしのゲン」について、原爆の残虐さを書きすぎているから、子供たちに読ませないように、と、図書館の閲覧から外したとのマスコミ報道を知って驚きました。世論の批判によって閲覧禁止は解除されましたが、私は早速「はだしのゲン」コミック10冊を、7,140円で買い求めて読みました。

また、「休め」「気をつけ」「右向け…右ィ」と号令をかけたまま、「直れ」と云わないのです。一列に並ばされた私達団員は、右を向いたままの姿勢で長時間固まっています。「団長ノ命令ハ朕ノ命令ナリ」ですから、誰一人逆らったり、逃げたりは出来ません。(「朕」とは天子の自称と辞典には出ていますが、天皇陛下が自分を呼ぶための唯一の言葉で、他の人は絶対に使ってはいけません。)そこへ足音を忍ばせて後ろから最上級生が寄って来ます。線香に火をつけたものを持っていて、手の指が伸びていない者にジューと当てるのです。手の甲が赤くはれて、何日も痛い痛いと云っていた同級生もいました。正に弱いものいじめです。戦局の悪化に従って、日本軍隊の非人間的統制と恐怖によって少年団も支配されていったように思います。
高室国民学校の朝礼では、「ミタミワレ、コノオオミイクサニ、カチヌカン」と全校生徒が大声で唱和するのが常でした。生徒達は誰も正確な理解は出来ていなかったと思います。ある日教頭先生が朝礼台の上から全員を見渡して、「『ミタミワレ』とは何のことか」と云われました。「河内、云うてみい」、最上級生が黙っていると、先生は「『ミタミワレ』とは、おそれ多くも、天皇陛下のご家来である私、フナハシコウイチは――と云う意味であります」と云われました。天皇陛下は生き神様です。「おそれ多くも……」と先生が云われた時にはもう、全校生徒が「休め」から直立不動の姿勢を取るために足を引く音が「ザッ」と運動場内に響き渡りました。ああそうなのか、私達日本国民はみんな現人(アラヒト)神である天皇陛下のご家来なのか。だから陛下のためには全国民は命を投げ出して戦わなければならないのか。――と、わかったような気持ちになりました。
私の国民学校(小学校)時代は、毎日このような教育をされ、周りの空気が戦争へ戦争へと高まって行きましたが、「非国民」と云われることを恐れて、誰も「戦争はイヤじゃ、恐ろしい、平和が良い」と口に出しては云えない時代でした。
終戦となり、私が新制中学より新制高校へ進学した時期に、図書館で読んだ本の中に「良い戦争、悪い平和は、あったためしがない」と云う言葉があり、今も鮮明に覚えています。戦後日本は新憲法で戦争放棄を内外に宣言して今日に至っています。この憲法を守り、平和の主体者になることが今戦争の時代を体験した私達に求められているように思います。広島・長崎と二度も原爆の洗礼を受けた日本が全世界に向けて発信出来るもの、それは「平和」であるはずです。
サンサンだよりの先々月号の原稿を書いている頃だったかと思いますが、松江市教育委員会が「はだしのゲン」について、原爆の残虐さを書きすぎているから、子供たちに読ませないように、と、図書館の閲覧から外したとのマスコミ報道を知って驚きました。世論の批判によって閲覧禁止は解除されましたが、私は早速「はだしのゲン」コミック10冊を、7,140円で買い求めて読みました。

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