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エッセイ第35回「同窓会 その1」

2018年05月08日

 約束通り、10時に、T事務局長が来られた。観一高同窓会の理事会に提出予定の収支決算書などに目を通したり、幹事会や総会の打合せをしたり、色々あるが、直近のものでもまだ20日ほど間がある。実に堅実な人だ。前期のM事務局長も共に気配りがあって超優秀であった。私など代表として、ふわっと、乗っかっているのみで、ずいぶん助かっている。

 私が前任の松繁さんから、同窓会長を引き継いで15年になる。年次と支部が縦糸横糸となって活動し、組織もほぼ安定しているが、まだ支部総会が定期的に開催されていないところも一部あって、その低調な支部へ働きかけの手紙を出す準備をしたりもした。4月下旬に理事会。5月初旬に幹事会。5月末の日曜日には、450名予定の本部同窓会総会開催と続いているが、今年の総会は昭和51年卒と平成元年卒の二つの年次がお世話をして下さる事となっている。その間をぬって、豊浜支部と豊中支部の総会がある。東京・京阪神・岡山・松山と県外4支部、県内14支部+県庁・県警の職域2を加えて、全部で20支部あるが、私と事務局長は、その全部に出席して来た。前年度は母校創立120周年を3年先取りして、募金寄付金を集め、観一高新体育館の舞台に本校卒業生で洋画家の田中岑氏の作品「凧(たこ)双つ」を原画とする緞帳を完成させ、同窓会として寄贈した。これで木造校舎はなくなり、全部鉄筋コンクリート建となった。少しコンパクトになった感がする。母校の発展があっての同窓会だと思うものの、少子高齢化の波はここにも押し寄せて来ていて、私共の在校時代は、1学年500~600名はいたと思うが、現在は全日制750名+定時制となっていて、70本余の楠の巨木のみが当時をしのばせている。

 私は会長就任当初から活動方針を3つあげた。①同窓会は決して強制するものではない。参加するか否かは自主的に決めて頂くこと。②声の高いボスになびいたり、派をつくったりせず、民主的で明るい和やかな会であること。経理を常に公開して、全会員の納得を得ながら進めること。③観一高で学んだという絆を大事にし、連帯の心を大切にすべての活動に生かそう。ということである。

 本部同窓会運営だけでも、かなりの時間を費やすが、私の場合は観一高の年次の会(二八会)と、新制高室中学校卒業生の会がある。

 まず『二八会』について。昭和28年3月に観一高を卒業した第4回の同窓会の中で私は、本部事務局を担当している。二八会は、私の日々の生活サイクルの中で、仕事の一部のようになっている。昭和46年に第1回総会を全国へ呼びかけて、その後数年おきに、今秋を含めれば13回の総会をもった事になっているが、この初回から最後(?)まで、通して私が事務局の中心になり、私が没するまで、それは続くだろうと思っている。私たちは国民学校1年生の12月に第2次世界大戦となり、5年生の夏終戦となった。軍国教育から180度転換して民主教育となり、一年後に学校制度が改革され、義務教育の中学生となった。高校進学は、なぜか全員が希望校へ無試験合格となり、自我に目覚めながら、激動の社会背景の中で、私達は強い連帯感で結ばれて来たと思う。

次回へつづく

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