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エッセイ第23回「多角経営に挑んだ頃 その1」

2017年04月04日

 1964年(S.39)東京オリンピックが開催され、1965年から「いざなぎ景気」が始まりました。思えば、住宅公団や住宅供給公社、市町営の住宅建築などが、はじまっていた頃でありました。
 地方の住民の生活様式も大きく変わり、LPガスの進出で各家庭は、ステンレス流し台、ポリバスの設置が進んできた時代背景がありましたが、便所の改革は、いま一つのところでした。ほとんどの家が旧来の汲み取り便所のままでした。水洗便所にするには、個々に浄化槽の認可設置が必要であり、場所をとる埋設や、資金負担も多大となり、さらに汚水の放流先も水利組合等との折衝もあり、…でなかなか進みませんでした。もっと安価で簡易な方法はないのか、と私たち設備業者は考えていました。

 そこへ『セキスイ無臭トイレ』が出現したのです。字の通り、臭わない。詰らない。比較的安値で、施工手間も少ない。セキスイ化学の説明会を開いて新商品を学習しました。これだ!と私たちは思いました。材料はすべて塩ビで出来ています。便器を据付けた下段には、太い黒くて長い塩ビパイプが下に伸びていて、最端で曲がって横引きになっています。その横引きの先端は、ドラム缶大の塩ビの便槽に入っていて、パイプの切り口は上向きになり、立ち上がっています。この横引きパイプの中に水を貯めてから使用すると、便と水が混合して腐敗し、ドロドロになって便槽に貯まってゆく、と云うものです。実際、会社のトイレに使ってみると、比較的安全で、半永久的に使用できることが実証出来ました。わが社では、この『セキスイ無臭トイレ』の普及に力を入れて、民間の建設業者ではかなり使ってくれるようになりましたが、官公庁は皆無でした。市営住宅に使ってもらおうと考え、私は熱心に市役所へ通い説明しました。ついに市役所が「それでは2戸だけ使ってみよう」と云ってくださいました。飛び上がるほどうれしい気持ちでした。30戸くらい建てる市営住宅群の中で、28戸は従来の汲み取り式コンクリート便槽ですが、中で2戸だけは「セキスイ無臭トイレ」となりました。

 当時の「セキスイ無臭トイレ」のカタログの裏に施工説明書があり、そこに(官公庁ご採用…香川県観音寺市営住宅2戸)、とのみ書かれているものを、今も大事にもっています。日本中の官公庁採用の一番目が観音寺市で、その後全国的に広がっていった無臭トイレの先駆けとなったわけです。

 市営住宅が完成して抽籤で当たった家族が次々と入居してゆきました。1カ月くらい経ったある日、「無臭トイレが詰まった!すぐ調べて欲しい」と市建設課から電話が入りました。当社からは私をはじめ2~3名の者が急行しました。現場には、市の係長、主任をはじめ数名の方々が来られていました。私は帽子、雨合羽、長靴、水中メガネ、マスク、手袋をつけて、使用中の無臭トイレのマンホールのふたを開けて便槽の中へ入りました。マンホールは、35センチの径で、細身の私は、するりと足から入ったのです。予想していた通り、パイプの中には、木材の切れ端と、使用済の雑巾が投げ込まれていました。
                                                 次回へつづく

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