三宅会長「生い立ちと歩み」
第28回 「私の生い立ちと歩み」
2010年09月04日
(ペースメーカー植込)
忘れもしません。それは、平成11年(1999年)5月13日の深夜のことでした。頭が、めり込みそうな不快感を覚えて、目がさめました。口の中はカラカラです。虫の息と云うのでしょうか、ささやき声しか出ないのです。かつて体験したことのない強烈な異状を体が発信していました。足の裏にべっとりと汗をかいていました。妻が気付き、当時おつきあいのあった東京の内科医のY女史を思い出して、電話をかけましたところ、「それは心臓障害です。すぐ救急病院へ行きなさい」と指示してくれました。
『経営者というものは、どんな時でも、親身になって相談にのってもらえる、弁護士、経理士、医者の3人をもっているべきだ。』と云われていますが、私は、そのすべてが満たされていると感謝しながら、妻の運転する車で三豊総合病院へ運ばれました。心電図を診た当番医は、「心臓の電線が全部切れています。完全房室ブロックです」「脈拍30……まだ若いけど、ペースメーカーを入れないといけません」と云いました。いつ頃気づいたのか?数時間おくれていたら、ダメになっていたかも知れない……などと云われると、運がよかったと思うしかありません。
これまで、健康診断は定期的に受けてきました。血圧も、コレステロールも、糖尿も、肝機能も、数値はいつもOKでした。その自分が、心臓病になるなどとは、夢にも思ってみないことでした。何が原因か考えてみれば、ここ2ヶ月間は、グループ会社の決算と、高校全体の同窓会、年次の同窓会、国民学校の同窓会、桂円枝公演会などをとりしきり、中小企業家同友会総会を目前にして、睡眠不足が続いていました。休日がとれないままに疲労が蓄積されてきたように思います。心臓には、ストレスと睡眠不足が敵だとは後から学びました。
さて、その日夕刻になって、ペースメーカーが私の左の鎖骨下に植込まれました。ガス・ライター大で、そこからのびたリード線が心臓の筋肉に接触されています。ペースメーカーの植込みをしている人口は、全国で今、40万余人とのこと。私の周辺でも、何人かの人々がつけていて、みんな手術後は、以前よりはるかに元気でいるようです。コンピューター内蔵物体が自分の体内に植込されていて中心部で活動しているとは乙な気持ちです。
手術後渡された説明書によると、“磁気によって、内臓コンピューターが狂い失神する”とあります。携帯電話は、22cm以上離すこと。磁気マットはダメ。車のボンネット内や、熔接の火花の近く、高圧変電装置なども、近寄らないなど、など…とあります。かくて私は「身体障害者一級」の手帖を交付されました。命びろいをしたと共に、新たな不安も抱え込むこととなりました。このペースメーカーが狂ったり、動かなくなったら、私の生命はどうなるのだろう。もう一ヶ、予備のペースメーカーを持ち歩いたらどうか、と医師に疑問を投げかけてみましたが、納得のゆく回答は得られませんでした。
私にとってペースメーカー植込後の入院2ヶ月は、出会い、運命、生と死について深く考えさせられた日々でした。多くのお得意先と社員をかかえたこの会社を、何としても守ってゆかなければなりません。私は病床から、退任届を各所へ送りました。香川中小企業家同友会の代表理事や、香川インテリア協議会の会長等々です。その後同友会では「常任相談役」となって、今日まで続いています。ペースメーカーは、9年後の昨秋、入替手術を行いました。







