三宅会長「生い立ちと歩み」
第26回 「私の生い立ちと歩み」
2010年09月04日
円枝師匠とのことは、まだまだ書きつくせませんが、私が15年前に、京都の同人誌(飛翔)に投稿したものを転載しますのでお読みください。
円枝師匠と私と
三宅 昭二
東京へ出て時間があると、新宿・末広亭へ出かけることがある。おめあては、落語の桂円枝師匠である。彼がトリをやっている時もある。真打昇進後25年。きくたびに円熟したなあと思い、わがことのように、うれしくなってくる。検察庁勤務から一転して落語界にはいった彼が、郷土観音寺で、はじめての公演を行ったのは、もう20年もまえになろうか。昨日のことのように思い出される。
真打祝いと、高校の先輩でもある彼に、よろこんでもらおうとの気持で、公演計画をねりあげた私と仲間は、おもいつくかぎりの個人と団体を組織して、後援会をつくり、参加をよびかけた。当日は、1,600席の市民会館が満ぱいとなり、「真打落語家・桂円枝」は、郷土の人々に好印象を与え多くのファンをつくった。次の日は、円枝とその師匠桂枝太郎を囲んで、世話人の打上げ会となった。
「よかった、よかった」と30余名が、酒をくみかわした。円枝後援会がなければ、けっして一堂に会することのなかった人達。その一人一人に円枝師匠は酒をついでまわって、律儀にお礼を言っている。噺家らしからぬ端正な面立ち、謙虚で礼儀正しい彼が、時には、ころげまわって笑ったりしている。よほどうれしかったのだろう。最後に私の前まできた彼は、急にあらたまって、「三宅さん、このたびは……」と言いだすと、あとの言葉がつづかなくなり、「……下へいって泣いてきます」と階段をかけおりていってしまった。
勘当同然に家をでて、落語の世界に入った彼は、桂三木助の門下にはいり、古典落語の修業をつづけた後、桂枝太郎門下に移り、新作落語をつづけた。そして、ついに真打となって古里に錦をかざった。感無量のものがあっただろう。
「古里に、晴の姿や、風薫る」
恩師の滝本先生が詠まれた歌に、すべての想いがこめられている。その後何回となく地元公演会がくりかえされているが、私は後援会事務局長として、師匠との深いかかわりは、生涯のものとなってしまった。 下町の落語を国立劇場でやることに異をとなえる清貧の師匠を想い、以来私は、『円枝公演』の機会づくりを常に考えながら、なかなかうまく実行できないでいる。
(1994年2月)







