三宅会長「生い立ちと歩み」
第19回 「私の生い立ちと歩み」
2010年09月03日
(フロン破壊プラント設置)
東洋化工で顕化フィルムの製造を中止した後も、ボードン・シートの製造は続けていますが、東洋化工の工場内へ三宅産業の投資によって「フロン破壊プラント」を設置しました。ブルーミングと名づけました。
三宅産業は、空調機の販売・施工を主業務の一つとしています。この空調機を運転する冷媒(フロンガス))を大気中に放出すると、地球を覆っているオゾン層に穴が開き(ホールが出来て)人類に悪影響を及ぼすと云われています。地球温暖化防止運動の中で、このフロン回収・破壊は、わが社の環境貢献への一つのテーマとなっていました。
第一期第二期工事で四国一番の規模となりました。ダイキン工業の技術部長をされていたI氏をわが社へお迎えして、冷凍空調の業者や工場等から回収されたフロンをプラントを通して破壊してゆきました。少しでも人々の住みよい生活に役立つことが出来ていると、私も社員ともども心からうれしく、誇らしく思っています。
(三宅石油設立)
時代は逆のぼりますが、三宅産業の売上が5億くらいになった1973年、子会社の「三宅石油㈱」を設立し、はじめてのガゾリンスタンドを建設しました。第一次オイルショックの年でした。
元売り会社、大協石油(コスモ石油の前身)と特約店契約を結び、観音寺市坂本町の県道筋へ、間口の広い土地を買収しました。石油販売店としては後発の立上りです。早く石油を販売したいと、心ばかりはやって、求人は後になっていました。建築がどんどん進む中で、あわてて募集にまわるしまつでしたが、幸い従業員には恵まれて、立ち上がることが出来ました。
本体の三宅産業が高度経済成長期の波に乗って、右肩上がりに多角経営を進めていたときでもあり、必要資金は、ほとんど銀行借入れでした。借金はちっとも恐くない。元利返済以上に利益を上げればいいんだろうと、意気軒昂の時代でした。
一号店のオープンセレモニーは、今も忘れることが出来ません。大協石油の支店長をはじめ、業者会の会長や、元売りを紹介してくださった若宮社長をはじめ、多くのお得意先や友人・知人がお祝いしてくれました。私は県内に10ヶ所くらいのS.S.(ガソリンスタンド)をつくろうと決意しました。
ところが、この石油業界に入ってみると、当時は規制が厳しく各メーカーの枠もあって、新規出店はなかなか出来ないのが実情でした。やむなく、商社から持込まれる既存店の買収や、メーカー所有の店舗を借上げる方法などで、本社SSの他に東讃の三本松SS、高松川東SS、国分寺SS、丸亀SS、観音寺国道SS、自動車修理工場(コスモオートサービス)と、多い時期は7店を運営することとなりました。







