三宅会長「生い立ちと歩み」
第18回 「私の生い立ちと歩み」
2010年09月03日
「京大・生研25周年の集い」の案内があり、京都へ出かけました。会場には産・官・学の錚々たるメンバーが並んでいました。花王石鹸の太丸社長の記念講演があり、その後で「生研25年の歩み」と題する20分程度の記録映画が上映されました。
大門先生から、あらかじめ耳打ちされていたのですが、終りの5分間は、わが東洋化工と生研が共同研究しているボードン・フィルムや顕化フィルムなど、機能性フィルムの現状が紹介され、展望が語られました。未来に向かって羽ばたく鳥の画像で締めくくられていたことが、わが社の将来を象徴するものとして胸躍るものでした。
私は1981年より香川の中小企業家同友会の会長に就任していたことは、以前に書きましたが、そのため、時々意見や考え方などを発表する機会があったのですが、ある時、他団体の四国生産性本部の朝食会で講演しました。香川の中堅企業の経営者や、銀行・証券会社を含む大手企業の支店長等に、三宅産業での経営体験に加えて少し東洋化工の現況を報告したところ、反響を及び、東洋化工に関する質問が多く出ました。
それから半年程すぎた頃、大和證券の高松支店長が、本社の株式担当常務を案内してわが社へやって来ました。「株式を上場される場合は、ぜひとも大和證券を幹事会社にして欲しい」と云われるのです。私はびっくりしました。上場など考えてみたこともありません。とても、とても、と思いました。「このような申し入れを頂いたことだけでも光栄です。これを励みとするために、記念に写真を撮らせてもらいましょう」と、3人並んで写した写真は、今も社長室の机上にあります。
バブル崩壊以前から、大手のS化学と10年来共同研究を進めてきた顕化フィルムの実用化時代が到来しました。S化学の新居浜工場内にフィルム部門を増設致し、わが社のノウハウを移転することとなりました。多くの技術者がわが社へ研修に来られました。液晶と合わせて利用するため、フィルムは急激な需要増大となり、生産が間に合わず、3年後にはS化学とO工業が合弁企業をつくり、丸亀へ第一工場、第二工場と増設してゆきました。100億以上の投資と聞きました。
テレビ・パソコンをはじめ、液晶の業界が世界規模でV字曲線で伸びてゆくことが予測されるようになりました。大量生産と低価格の安定供給が市場から求められます。当初800億市場と言われていたものが、液晶を含めて1兆円市場となったのです。経営者である以上、常に上を向いて飛躍したい気持ちは充分ですが、「身の程を知る」のたとえ通り巨大市場に立ち向かうには、私達の力は余りにも微力です。中小企業として生き残るには、大手同士が争っているスキ間「ニッチ市場」をねらうしかない。素材メーカーとして私たちが進むことは無理だと判断しました。
役員会で議論の末、蓄えたノウハウをS化学に買ってもらう決断をしたわけです。すぐれた製品を開発しても、マネジメントの世界で成功しなければ、事業化はむづかしいものだとつくづく知りました。







