三宅会長「生い立ちと歩み」
第15回 「私の生い立ちと歩み」
2010年09月01日
このシリーズも15回目となりました。これまで、三宅産業を中心に据えた私の生き方や考え方を書いてきましたが、ここで少し、子会社の事情などにもふれておきたいと思います。
子会社は、「三宅石油」「東洋化工」「シーアイ企画」「グリーンライフ」「香川興産」など、次々と8社ほどになりましたが、ドラマチックな展開となった東洋化工について、まず振り返ってみます。
都会に住む私の友人が画期的な研究が実ったと云って“くもらないプラスチック板”を持って来ました。彼は名前が出せないと云うので、私の名前で特許申請をしました。プラスチック板に特殊加工をしたその板は、息をかけても熱い蒸気をかけても曇らないのです。これはすごい!ガラスならノーベル賞ものだ。これを市場へ出したい、として知人友人に話したら、50万、100万とみんなが出資金を持ってきて、株式会社を設立しました。東洋化工の誕生です。『ボードン(BODON)』の商標登録も受理されました。
1978年設立時は、善通寺の農地へ、もらいうけた廃校を建ててにわか工場としました。東京の電話帳を買ってきて、化成品工場やスポーツ品メーカーなどへ見本とカタログを送りつけました。やがて水中メガネ・スキーゴーグル・オートバイ用ヘルメットゴーグル・防塵ゴーグルなど、多方面に利用されるようになりました。
水中メガネ発売の頃、大貫映子さんという早稲田の女子学生が、フランスとイギリスの間のドーバー海峡を泳いで渡ったという記事が、写真入りで新聞に載りました。彼女がつけていた水中メガネが我社のボードン製品とわかりました。原材料製造の我社から商社を経て、加工メーカー→スポーツ社へと納入されていたものでした。
ドーバー海峡は海水が冷たく大貫さんは、体温保護の為に身体に油を塗っていたほどで、普通のメガネだとすぐに曇るのですが、「ボードンゴーグル」は最後まで曇りがなく「このゴーグルがあったからこそ泳ぎきれたのだ」と彼女が言ってくれました。これらがきっかけとなって、アメリカのKマートをはじめ、大量の受注となりました。カナダ、オーストラリアなどへも輸出しました。いくらつくっても売れるという時期がありました。







