連載

三宅会長「生い立ちと歩み」

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第13回 「私の生い立ちと歩み」

2010年09月01日

こうしたことを学びながら、社員の協力を得て社内で実践してゆきました。私の好奇心と挑戦の気持ちはどんどん高まり、多角経営が進んでゆきました。私と共に進め進めと開拓していった片棒の人を、部長・課長として部門を任せてゆきました。

初めの頃やりたかった石油販売の子会社も立ち上げました。私は正に、走りながら身なりを整えていったのでした。こうして事業が第一次の成熟期を迎え、私はライオンズクラブの幹事や、娘の通う高校のPTA会長を引き受けたりして、超多忙の日々を送っていました。そして何となく、社員とのコミュニケーションが欠けてきているなあと感じはじめていたのです。

そうしたある日、突然わが社に労働組合が結成されました。真っ青な顔をした従業員が数名、私の前に並んだ時、私はことの重大さに衝撃をうけました。「なぜだ」と思いました。上部団体の応援をうけた社内労組の幹部との交渉は、しだいに激しさを加えてきました。どうしてわが社に組合が?と、考えました。私は自分では民主的な経営者だと勝手に思っていました。

社員の家庭内のことも相談にのり、解決に骨を折ったり、飲み会を開いてみんなと一緒に歌ったり、朝は自分の方から挨拶の声をかけたりと、少なくともワンマンでなかったと思います。それなのに、なぜ?と悩みました。しかし、社員数は増えていて、別会社を含めると80名近くになっていました。

私は、何のために経営をしているのだろうか?単なる金儲けの為だけなのか、自分の目指すものは何か、社員の幸せとはなんだろうか、そして社員のやる気はどうしたら出てくるのだろうか、お客様や地域社会にどう貢献したらよいのか?……と。私は自分が所属していた“中小企業家同友会”へ駆け込んで相談しました。そこで見せてもらった『新しい労使関係の見解』というパンフレットが、経営者の私を変えるきっかけとなりました。

私は他店へ勤めたことがなく、給料を受け取る立場の社員の本当の心の痛みがわかっていなかったのではないか、と反省しました。そして、わが社が経営理念も方針もない会社であることに気がつきました。羅針盤がなく、見当をつけて航海をしていたのです。これからは『人間尊重の経営』を推し進めたいと決意し、時間をかけて実行してゆきました。「就業規則」をつくり直したり、「評価制度」をつくったりしてゆきましたが、とくに「経営指針書」つくりには力を注ぎました。社長が一人で指針書作りをするのでなく、社員の意見をとり入れて、まき込んでつくってゆく事に大きい意義があることも、だんだんとわかってきました。

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