連載

三宅会長「生い立ちと歩み」

一覧に戻る

第12回 「私の生い立ちと歩み」

2010年09月01日

〈多角経営への道〉

 LPガスの販売をはじめるとガス機器の販売も重なり、同時に配管工事へと移ってゆきました。水道業者となるために、水道課を定年退職した技術者・三原金作氏を迎えました。氏は観音寺市にはじめて水道管を埋設する際、大阪水道局から派遣された優秀な技師であると聞いています。

水道工事をはじめると電気工事も、となり、家庭電化製品の販売にも広がってゆきました。この時季はまだ私共の本社事務所は、港町で道路前の内港が伊吹丸の発着となっている場所でしたので、観音寺駅近くの借用民家を改造して、「実演展示場」なるものを造りました。

建設会社の下請工事の請負や、県・市・町の入札工事に参加するようになり、リフォーム工事も手がけるといったように、期せずして多角経営に進んでゆきました。私にきちんとした長期計画があったわけではありません。「祖父の代からポンプ屋をやっている」「先々代からの電気屋だ」と云った歴史と顧客をもった他店と、どうやって競争し、打ち勝ってゆくか。私は、その道の先達である全国一番店から学び取ることとしました。

業界紙で調べたり、商社・メーカーに聞いたりして、全国各地を訪問しました。私が「四国の片田舎の業者です。こんな点で困っている、先が読めない」などと、自分の会社の課題を正直に話すと、各地の先達たちは熱心に教えてくれました。私の訪問時間に合わせて先方の仕入先なども呼んで、質問に答えてくれたりしました。いろいろ資料を持参し、裸になって教えて欲しいとお願いすると、中小企業の経営者はみんな善意で教えて下さいました。

このことを「キャッチボール」だと表現された人がいます。自分のことは少ししかしゃべらないで、相手に聞かせて欲しいと言っても、小さい答しか返ってこない。ピンポン球を投げればピンポン球が返ってくる。大きいドッジボールを投げれば、ドッジボールが帰って来るものだ と。

ページ上部へ